「シャーロットさんへの手紙もしくは11月1日の日記」

 私のような平凡な人間が、東京の美術館で一夏展示ができるなんて、本当に幸運なことだ。

 「あ、共感とかじゃなくて。」という少し変わったタイトルの展覧会で、5人の参加作家のひとりとして作品を出品している。展示について私が付け加えるとしたら、同時開催のデイヴィッド・ホックニー展の混雑に疲れた人が、のんびり休憩できるような、そんな展覧会だったんじゃないだろうか。

 10月30日に「『黄色い壁紙』の音読会」いうイベントを開催した。『黄色い壁紙』はシャーロット・パーキンズ・ギルマンさんによって1892年に発表されたホラー小説で、今回私が作品を作る上でモチーフのひとつとした物語だ。参加者のおかげで音読会がとても楽しかったので、イベントに来なかった人や、美術館に来れない人とも何かを共有できないかと思い、キーボードをたたいている。そしてたぶん( もちろん、イベントでの体験をそのまま伝えるのは無理だし、これはただのパソコンによる文字なんだけど、ネットの海の中にシャーロットさんのゴーストが漂っているかもしれないから )それがたぶん、わたしが今、こうして日記のような、シャーロットさんへの届かない手紙のような、パロディーのようなものを書いている理由だ。

 

 音読会では、『黄色い壁紙』の中から三箇所を抜き出して、順番に声に出して読んだ。131年前この物語を作ったシャーロットさんには、想像もできない景色ではないだろうか。休館日の静かな美術館に、それぞれの声が響くのは、とても美しかったし、不思議なかんじがした。個人的には、青森のイタコのような、なにかこの物語を、今のわたしたちの経験や気持ちに近づけるための儀式のようにも感じられた。

 

 物語の中で、主人公が自分のパートナーであり医者でもあるジョンに、自分の痛みや症状を説明しているのに、ジョンがそれを認めないシーンがある。あの、言葉を交わしているのに何も伝わらない状況に、わたしは恐怖を感じた。音読会には言語とコミュニケーションを研究する三木那由他さんをお呼びしていたから、それが単に「ジョンが怖い」というだけじゃなくて、どんなことと繋がっているのかを、みんなで考えることができた。

 三木さんは、コミュニケーションをとることで、普通はその集団やコミュニティーで得た知識や経験が、集団の共通財産として蓄積されていくはずなのに、ジョンが話を聞かないし認めないから、この家庭の中では情報が何も更新されないし蓄積されていかない、と話した。

 主人公とジョンは言葉を交わしていたけど、あれはコミュニケーションじゃなかったんだね。声を出していただけで。

 

 誰も見ることができない、触って確かめることもできないけれど、だからこそ、その人の痛みや感じていることは、その人自身にしかわからないことだ。だけど、それが他者に否定されたり、軽んじられてきたケースは歴史的にも、そして現在でもある。ありすぎる。

 妊娠する女性や黒人の人は痛みに強いという勝手なイメージのせいで医療現場で麻酔が使われなかったり、社会規範から外れるからと強制的な治療が本人の意思を無視して行われたり。ウィシュマさんが痛みを訴えたのに周りの人がそれを認めなかったせいで亡くなったのも、2021年だ。

 物語の中のジョンは怖い。喋り方は穏やかだけど、けして主人公の痛みには耳を貸さなかったし、主人公の行動を支配しようとする人だった。だけどありふれた人だったんだな。それが怖い。

 

 物語のキャラクターについてもいろんな話をした。主人公はとても好奇心の強い、自分の感情をよくわかっている人なんじゃないかって感じた人もいたし、オカルト好きだろうって人もいた。作者が受けたヒステリー治療体験をもとにこの物語が作られたことを知っているから、わたしはシャーロットさんと主人公を重ねて読んでしまうけど、どうなんだろう?似てるのかな。

 ジョンについてもみんなで話した。彼は確かに支配的だけど、主人公の体調を本気で心配しているのは嘘ではないかんじがする、とか。主人公のことを子供扱いするような言葉遣いをするけど、悪気はなくて彼なりに歩み寄ろうとしてるのかも、とか。でもそれだと主人公のこと見下してない?とか。

 ジョンは無意識に他人をバカにしている部分があるけど、自分にもそういう部分が無いとは言えないから、ジョンのことを単純な悪者としては見れない、って意見も出た。自分の中の無意識の差別意識や加害性に、自分で気付くにはどうしたらいいのかな。

 

 物語の中で、黄色い壁紙の色や柄について、主人公は取り憑かれたように嫌悪感を言葉にする。ジョンと話していた時とは別人のようで、負の生命力を感じた人もいた。あの黄色についての罵詈雑言は、白人以外の黄色い肌の移民に対する感情のあらわれなんじゃないかっていう説もあるけど、シャーロットさん的にはどうなの?

 どちらにしろ、あなたは自分の物語が、いわゆる黄色い肌と呼ばれる体を持つ、わたしに読まれるなんて想像もしなかっただろうね。

 

 これは、わたしとパートナーとの日常会話なんだけど。パートナーがわたしの足をちょっと踏んじゃったり、手が軽く当たった時とかに「痛いー」とわたしが言うと「痛くないよー?」とちょける。「なんでやねん痛いわ」と笑い合う。

 たまにやる言葉の掛け合いなんだけど『黄色い壁紙』の主人公とジョンの会話と、表面上は同じだと気づいた。(主人公/わたし)が自分の痛みを相手に伝えるが、(ジョン/パートナー)がそれを認めない。わたしとパートナーとの間には、「痛みは本人にしかわからないことで、他の人がその痛みを否定したりすることはできない」という共通認識があるから、あえて認識とは違う言動をすることで笑いに変えている。おそらく、笑いに変えても大丈夫な範囲の痛みなのかどうかを、パートナーはわたしの表情や声の様子、これまで二人で過ごした時間(情報の共有財産!)から、瞬時に判断しているのだろう。ここにはコミュニケーションがあるんだね。

 同じ言葉から、一方では絶望が、一方では笑いが生まれるなんて不思議だ。

 

 そう、あなたに聞きたいことがあったんだった。物語の中に「地面を這う女」が登場するでしょ?みんなで話していたら、なんとそれぞれ違う這い方を想像してたの!

 黄色い部屋がもと育児部屋だったから、胎児のように這う。カフカの『変身』のイメージから虫のように這う。映画『リング』の貞子のように這う。蛇のようにずるずると這う。映画『エクソシスト』のように体をねじった状態で這う。。。。

 どの這い方もゾッとする。同じ文字を読んだ人が、それぞれの形を想像するのは読書の楽しみだし、他の人とそれを共有できるのは楽しい。原文を見たけど「這う」には「creep」が使われていて(単語を調べると忍び足の可能性も出てきた!)詳しい這い方は書かれてなかった。あなたはどんな動き方を想像してこの物語を書いたのかな。

 

 物語の終わり方についてもみんなと話した。狂気によってジョンの支配を打ち破る姿がスカッとして好きだった人、主人公が自分の部屋から出ない選択が、この当時のフェミニストの限界のようで残念だった人、女が男を屈服させる姿を描くには、足で踏みつける滑稽な演出が出版できるギリギリを狙った戦略だったのでは?と言う人もいた。狂気とユーモアで圧力に抗うなんてかっこいいな。

 2023年だったらどんなホラーなラストが考えられると思う?壁の中に囚われた他の多様な女たちと協力して、100人ぐらい引き連れて家の外に出るけど、自分たちを支配して抑圧してくる存在はジョン以外にもたくさんいた。とかかな。

 これではあまりに平凡すぎるか。

 

 

 

 

2023.11.01 中島伽耶子

 


 これは、東京都現代美術館で行われた展覧会「あ、共感とかじゃなくて。」の関連イベント「『黄色い壁紙』の音読会」のひとつのアーカイブとして書かれた日記のような手紙のような、そして小説『黄色い壁紙』のパロディーのような文章です。

 

・「あ、共感とかじゃなくて」

https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/empathy/

展示作品《we are talking through the yellow wall》

 

・「『黄色い壁紙』の音読会」

https://www.mot-art-museum.jp/events/2023/10/20231006130835/

 

三木 那由他さん(今回のゲスト)

 

大阪大学大学院人文学研究科の講師をされています。コミュニケーションについて英語圏の哲学で用いられてきた理論や概念を手掛かりに考えている方です。著書に『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房、2019年)、『グライス 理性の哲学』(勁草書房、2022年)。「あ、共感とかじゃなくて。」の展示会場には三木さんの『言葉の展望台』(講談社、2022年)と、『会話を哲学する』(光文社新書、2022年)を本棚に入れていました。オススメの本です。

 

『黄色い壁紙』の英語原文はこちらから確認できます。https://en.wikisource.org/wiki/The_Yellow_Wall_Paper

日本語に訳された『黄色い壁紙』が収録されたアンソロジーもいくつか出ています。例えばこちらなど。

エドガー・アラン・ポー、H.P.ラヴクラフト、シャーロット・P.ギルマン[ほか]著 ジョン・ランディス編 宮崎真紀訳『怖い家』エクスナレッジ、2021

 

音読会で使用したテキストは、イベント用に物語から三箇所を抜き出し、声に出すことを前提に中島がアレンジを加えたオリジナルテキストです。

この物語には多くの先行翻訳がありそれらに最大の敬意を持ちながら、物語を自分の声に出して読む、という今回のイベントの趣旨から、特に主人公のセリフからいわゆる「女言葉」を削りジェンダーニュートラルな表現を目指しました。よかったらあなたも声に出してみてください。

 

ダウンロード
「『黄色い壁紙』の音読会」用テキスト.pdf
PDFファイル 678.9 KB

参加してくれた皆さん、協力してくれた皆さん、気にかけてくれた皆さん、

ありがとうございました!